【後編】 「半分、青い。」ムンプス難聴の医師が伝えたいこと

中村好見 / 毎日新聞  医療プレミア編集部  2018年7月9日


おたふくかぜとムンプス難聴【後編】

子どものころにおたふくかぜにかかり、ムンプス難聴を発症した医師の稲田美紀さん


 NHK連続テレビ小説「半分、青い。」のヒロイン楡野鈴愛(にれの・すずめ)

が左耳を失聴した「ムンプス難聴」。


 最近、おたふくかぜにかかった人の数百人~1000人に1人が発症する病気であること

大人の発症も珍しくないことがわかってきました。唯一の予防法はワクチン接種ですが

日本では任意接種のまま、接種率は3~4割にとどまっています。


 今回は、子どものころにおたふくかぜにかかってムンプス難聴を発症した

橋場診療所(東京都台東区)副所長で医師の稲田美紀(みのり)さん(43)に

当事者として今思うことを聞きました。




--子どもがおたふくかぜにかかってムンプス難聴になっても

聞こえないことの自覚がなかったり、違和感をうまく伝えられなかったりして

周りの大人は気づきにくいと聞きます。

稲田さんがムンプス難聴になった時のことを教えてください。  


◆稲田さん 偶然にも鈴愛と同じ1980年の夏で、鈴愛は小学3年、私は5歳の時でした。

5月ごろにおたふくかぜにかかって近所の病院で診察を受けましたが

耳の下の腫れは軽く、何事もなく治ったと思われていました。

その後、夏休みに祖母から電話がかかってきて、当時は固定電話だったので

当然のように左耳に受話器をあてました。

しかし、祖母の声が全く聞こえず、怖くなって母に受話器を渡しました。

そこで初めて、私の左耳が聞こえていないことがわかりました。


 --診断を受けた時のことは覚えていますか。  


◆診断を受けたのも、鈴愛と同じ名古屋大学医学部付属病院の耳鼻咽喉(いんこう)科でした。

私を診断した医師は、「お子さんの左耳は失聴しています。現代の西洋医学では

治すことができません。残った右耳を大切にしてください」とはっきり言いました。

自分自身はまだ幼くて実感はありませんでしたが、一緒にいた母の嘆き

悲しみはとても大きかったようです。医師はそんな母を励まそうとしたのか

なぜか「こういう子でも医者になれますよ」と言いました。

その言葉が母にとっての希望になり

私も医師になりたいと思うようになりました。

ヒロイン鈴愛と弟の草太


 我が家は普通のサラリーマン家庭で、私大の医学部に通わせる経済力はなく

国立大医学部を目指しました。親からは医師になることを強制されたわけでは

ありませんでしたが、2浪しても強い意志を持ってあきらめなかったのは

この医師の言葉があったからだと思います。  

 治療法がないと聞いても、母はなかなかあきらめませんでした。

東洋医学的な治療をしていた耳鼻咽喉科に望みをかけて1年ほど通院しましたが

効果はありませんでした。私自身は「片耳が聞こえるならいいや」と

そこまで深刻ではなかった気がします。

それよりも通院の間は、普段は妹の世話で忙しい母を独占できたのがうれしかった。

帰り道に駄菓子屋さんで、好きなキャラクターが描かれたジュースを

買ってもらうのが楽しみだったことを覚えています。


 --ドラマで鈴愛がムンプス難聴の診断を受けるシーンでは

医師が「音の遠近感覚や方向はわからなくなる」「騒がしい場所では音を聞き取りにくい」

「後ろから車や人がやってくる気配を感じにくくなる」「耳鳴りが続くことがある」

「三半規管もダメージを受けている可能性があるのでしばらくはバランスがとりにくくなる」

と丁寧に説明したことが、インターネット上で話題になりました。

ドラマの描写は、ムンプス難聴者の実態を伝えていると思いますか。


  ◆片耳が聞こえないことの不便さをここまで丁寧に伝えたシーンは

これまでのドラマにはなかったのではないでしょうか。私が診断を受けた当時はまだ

「片耳が聞こえるから」と、そこまで詳しい説明はありませんでした。

また、鈴愛が教室で前の方ではない、先生に向かって中央左側の席に座ったり

どちらから呼ばれているかわからずその場でぐるぐる回っていたり

友達が自転車通学している中で一人バス通学したりしているシーンの一つ一つから

自分の体験がよみがえりました。

耳の検査をしてもらう鈴愛=NHK提供


--片耳が聞こえないことで、学校や日常生活にどんな影響がありましたか。  


 ◆小学校の席替えでは、必ず先生に向かって左側の席になるよう

私のくじだけ分けてもらいました。それに対して「ずるい」と意地悪なことを

言ってくるクラスメートもいましたが、「片耳が聞こえなくても得意なことでは負けない」

と思って気にしないようにしていました。 


 高校生になるとウォークマンが流行し、友だちがみな持ち歩く音楽を

楽しんでいるのがうらやましかったですね。医師からは、残された右耳を守るため

イヤホンやヘッドホンをつけることを控えるように言われていましたから。

音楽になじめず、長い間「NO MUSIC, NO LIFE.」という言葉に全く共感できなかった。  


 40歳前から積極的にライブに出かけるようになり、全身で音楽を聴く

という体験を通じて、ようやく音楽の素晴らしさを知りました。

初めて楽器一つ一つの音、そのものを楽しむということがわかったような気がしました。

それでも、左右のスピーカーから流れる「ステレオ」の音ではなく

一つのスピーカーから流れる「モノラル」の音しか

聞くことができないことは、残念に思います。


  上京してからは自転車に乗らなくなりました。東京の交通事情が怖くて

急な自動車や子どもの飛び出しに対応できる自信がないからです。


 無音で近づいてくるハイブリッド車にも気づくことができません。

また、同乗者のいる自動車の運転もとても苦手です。

左側から話しかけられてもほとんど聞き取れないのに、車内の音楽や窓の外の音があると

とても会話になりません。それでも何とか会話をしようと努力すると

運転に集中することができず、いつも「怖い」と思っていました。

幼なじみの律と地元商店街を歩く鈴愛=NHK提供


--職場では片耳が聞こえないことはどのように受け止められていますか。  


 ◆研修医時代に、看護師から「呼んでも返事をしてくれない」と誤解され

不評が立ったことがありました。それからは、職場が替わるたびに

左耳を失聴していることを伝えて、用事がある時には肩をたたいてもらうよう頼んでいます

今では、わざわざ右側にまわりこんで話しかけてくれるスタッフもいます。


 診察室では、医師に対して左側に座る患者さんの方を向くようにしています。

患者さんには「よく目を見て話してくれるお医者さんだ」と

好意的に受け止められることが多いです。

今は電子カルテを打ち込みながら、ほとんど

モニターを見ている医師もいるでしょうから。


--改めてドラマを見て、どのように感じましたか。


  ◆ここ数年、問題のない右耳の聴力の衰えを感じて不安になったことはありましたが

日常生活で、片耳が聞こえないことのつらさを特に意識することはありませんでした。

私にとっては、子どもの時からの「当たり前のこと」だったからです。


 でも、ドラマで描かれたことで、ムンプス難聴になったことが、自分の人生に

与えた影響の大きさを客観的に見せられた気がします。

もしかしたら、医師になる夢を持つことはなく、全く別の人生があったのかもしれない


 また診断された当時、親がどれだけ悲しみ苦しんだかを知って

涙が止まりませんでした。

ドラマで、母親が鈴愛に一生耳が治らないことを伝えるシーンは

両親から「つらすぎて見られなかった」と言われました。


 ツイッターでは、ムンプス難聴者や片耳の難聴者と思われる人たちが

ハッシュタグ「#ムンプス難聴」「#片耳難聴」「#半分青い」などを付けて

ドラマの感想や自身の体験を投稿しているのをたくさん見ました。


 「聞こえないことを人に伝えられない」「何回も聞き返すのが迷惑がられそうで

聞き取れなくてもわかったふりをしてしまう」

「飲み会で座る位置を確保するのがうまくいかず憂鬱」

「めまいや耳鳴りが続いている」


--中にはとても苦しんでいる人もいて、身につまされました。

同じ難聴者でも、当然ですが症状や感じ方はそれぞれ異なります。

病気になることは、喪失体験だと言われます。

それぞれの人に、それぞれの喪失体験があることを実感しました。 

          診察の時の様子について説明する医師の稲田美紀さん

--今、一人のムンプス難聴者として、また医師として伝えたいことはありますか。


  ◆ムンプス難聴は、今はおたふくかぜワクチンを受けることで予防することができます。

鈴愛や私がムンプス難聴になった当時は、日本にはまだおたふくかぜワクチンは

導入されていませんでした。

ワクチンの接種率はなかなか上がらず、おたふくかぜは今も4~5年に1度の

流行を繰り返しています。ムンプス難聴を発症したら本人はもちろん大変ですが

「ワクチンさえ打っていたら」と、親も後悔し、とても苦しみます。


  今、地域のかかりつけ医として働いていますが、患者さんや医療スタッフ

同業医師には当事者であることを明かして、ワクチン接種を勧めています。

ドラマをきっかけにムンプス難聴のことを知る人は増えたと思いますが

ワクチンで防げることもぜひ知ってほしいと思います。

(おわり)


いなだ・みのり 

1974年名古屋市生まれ。

2001年三重大学医学部卒業後、三重大学医学部付属病院総合診療科を経て

2010年から現職。専門は総合診療。


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