スポニチ Sponichi Annex 2018年12月8日
ハム石井“サイレントK”の恩返しは続く
苦難を支えた亡き父の言葉
「野球は楽しく。自分を信じて」
【決断 ユニホームを脱いだ男たち】
先天性難聴を抱えながらプロ野球の厳しい世界で戦い、14年の
選手生活に終止符を打った「サイレントK」。
日本ハム・石井は補聴器のスイッチを切り、静寂の中1人で奮闘してきたマウンドと同様、
ユニホームを脱ぐ覚悟も1人で決めた。
右膝手術明けの昨季の登板は8試合。今季も開幕から2軍暮らしが続いた。
夏場すぎ。「そろそろ(引退)かなと思った」。
それでも「野球を続けたい気持ちもあった」。考え込む時間が増えた。
葛藤の日々。球団との話し合いをする中で「他球団に行っても先は短いと分かった」。
最後は誰にも相談せずに引退を決め
「周りもみんなびっくりしていた。父親に最後の登板を見せてあげたかったな」。
一番の心残りは10年前に小腸がんのため他界した父・清二さん(享年60)
に引退試合を見せられなかったことだった。
現役時代の心の支えは父の言葉だった。中日から横浜(現DeNA)
に移籍した直後の08年。
深夜に病院から父の訃報を受けた。最期はみとれなかった。
父からよく言われていた言葉は「野球は楽しく。自分を信じて投げなさい」。
厳しい練習、試合の場面では父の言葉を思い浮かべてきた。
「つらいことの方が多かったけど、野球を楽しもうと思って投げてきた」。
今は野球人生は楽しかったと胸を張って言える。
12年の巨人との日本シリーズ第6戦。阿部に決勝打を許して敗戦投手となった。
現役時代はその写真を自室に飾っていた。
9月30日、引退試合の西武戦で高校の後輩・秋山(奥)を左飛に抑える石井。
今後は裏方で日本ハムを支える
Photo by スポニチ
心が折れそうになったときは、その写真が心を奮い立たせてくれた。
引退した現在は、その写真に代わって引退試合で横浜商工(現横浜創学館)の
後輩、西武・秋山と対戦している写真が飾られてある。
中堅カメラから真剣勝負を繰り広げている2人を写した一枚。
この写真を見ると「もう終わったんだなあと思う」としみじみと振り返る。
日本ハムでの打撃投手として新たなスタートを切る。
「球団に恩返しをしないといけないことがたくさんある」。
来季に向けて今でも現役時代と変わらず体を動かす。
3年ぶりの日本一を狙うチームを今度は裏方として支える。
(東尾 洋樹)
◆石井 裕也(いしい・ゆうや)
1981年(昭56)7月4日生まれ、神奈川県出身の37歳。先天性の難聴を患いながら、小2で野球を始める。横浜商工(現横浜創学館)―三菱重工横浜クラブを経て04年ドラフト6巡目で中日入団。08年6月に横浜(現DeNA)、10年4月には日本ハムへいずれもトレード移籍。1メートル78、80キロ。左投げ左打ち。
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