毎日新聞 2018年8月28日
ダンスで自立支援 障害者向けに無償指導
兵庫県加西市の阿部裕彦さん(44)は、ヒップホップダンスを通して
障害者の自立支援に取り組む。
きっかけは息を引き取る直前まで、下半身不随の妹(41)の将来に気をもむ母の姿だった。
母の死が、障害者と距離を置いていた自分を直視させてくれた。
「ずっと遠ざけてきたことに向き合おう」と決心し、好きなダンスで
障害者の可能性を広げようとしている。【待鳥航志】
指導しながら参加者とダンスする阿部さん(右から2人目)
=兵庫県三木市で、待鳥航志撮影
2人きょうだいの妹は、脊椎(せきつい)の一部が形成されない先天性の「二分脊椎症」。
妹は療育施設に入所したり入院を繰り返していたため、中学までほとんど接しなかった。
母は妹に付きっきり。
「深刻な病気なんやなと思っていたが、当時は妹のことを避けていて、
周囲から隠したい気持ちもあった」と振り返る。
自身は高校2年の時に流行に乗ってダンスを始め、大学進学後も続けた。
他方、バブル経済の崩壊に加え、阪神大震災(1995年)の影響も重なり、
父の家業の経営が悪化。96年に地方公務員になると、父の税金を肩代わりすることもあった。
やがて両親は離婚し、生家は人手に渡った。母は妹のために家を建てた。
阿部さんは「母が交通事故を起こした時も妹に何かあった時も、自分に連絡が来た。
20代だった自分が父親代わりだった」。
次第に心に余裕が持てなくなった。
「何のために働いているのか。何のために生きているのか」。気持ちが落ち込んだ時、
救いになったのがダンスを通じたボランティア活動だった。
仲間に頼まれて無料のダンス教室を開いた。
中高生の参加者に感謝されるだけでうれしくて、居場所ができた気がした。
中高生とダンスグループを作り、2003年に市民団体「Do-it(ドゥーイット)」を設立。
ワークショップを開くなど、ボランティア活動の幅を広げた。
他方、家のローン返済のため、母は3つのバイトを掛け持ちして
3時間睡眠で働き詰めだった。ローンは自分が払うと説得しても、
「仕事が好きだから」と辞めなかった。
その母が10年ごろ、脳腫瘍で倒れた。
意識がもうろうとする中で、母は「あの子(妹)を頼むよ」と涙ながらに
つぶやき続け、13年に63歳で亡くなった。
自宅で遺品を整理していた時のことだ。借金があるのではと恐る恐る棚を開くと、
妹名義の通帳が出てきた。口座に約200万円があった。
「これかよ……」。母が無理をして働き続けた理由に初めて気付いた。
ローンは完済してあった。
「亡くなる間際まで、妹が心配だったんでしょうね。今の社会は、
障害者が生きていくことに心配が絶えないから」
この状況を変えたいと思った。
障害者自身が自立して何かに打ち込む姿が、父母の気持ちを軽くできるのではないか。
現在、障害者向けのダンス教室を月6回開き、神戸市や三木市などで出前授業もする。
平日の夜や土日に自身が考えた振り付けを約1時間、無償で指導している。
教え子の中には外部団体主催のイベントで報酬を得ているグループもある。
教室に通うダウン症の中藤海斗さん(18)の母泰子さんは、
「息子は以前は家にこもりがちだったけれど、ダンスを通じて目標ができたみたい。
親として励みになるし、世界が広がりました」と喜ぶ。
聴覚障害者には阿部さんが考案した音を使わずにできるダンスを教えている。
「弱い立場の人が主体的に何かを楽しめる社会を作りたい」。
それが夢だ。そのために、活動を今後、全国に広げていく。
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