Yahoo!ニュース 7/22(日) 東スポWeb
K-1戦士になった
全ろうの元高校球児・郷州征宜
消えなかった甲子園での不完全燃焼の思い
【気になるアノ人を追跡調査!!野球探偵の備忘録(72)】
深紅の大優勝旗が初めて津軽海峡を渡った2004年夏の甲子園。
優勝校・駒大苫小牧との準決勝で代打適時打を記録した“全ろうの球児”は
その後活躍の場を格闘技に移して昨年、念願のタイトルを獲得した。
耳の聞こえないK―1ファイター・郷州征宜が高校球児だったころのプロローグと
今なお挑戦を続ける理由を明かした。
「小さいころは多少聞こえてたのかもしれませんが、物心ついたときにはもう耳は聞こえなかった。それが当たり前の世界で生きてきたので、ハンディと言われても自分ではピンとこないですね」
神奈川で3人兄弟の末っ子として生まれた郷州だが、家族で耳が聞こえるのは一番上の兄だけ。
両親の方針で小学校から普通学校に通ったが、幼いころはいじめられることも多かった。
「耳が聞こえないから大声で悪口を言われてるのを後から知ったり。つらかったですね。母に『なんで自分だけ聞こえないんだ』と強く当たってしまったこともあって、弱い自分を変えたかった」
兄たちにならい野球を始めると、持ち前の運動神経でたちまち頭角を現す。
中学の強豪シニアでは日本代表として世界大会にも出場。
体も大きくなり、いつしかいじめられることはなくなっていた。
「外野手は打球音である程度の飛距離や落下地点を予測するらしく、そういう意味では不利だったのかも。でも、もとから聞こえなかったので気にしたことはなかった。周りとの声かけができないので、自分が声を上げたら任せると認めてもらったり。周囲の理解が大きかったですね」
高校では地元神奈川を離れ、山梨の強豪・東海大甲府に進学。
実力でレギュラーをつかみ、最後の夏に念願の甲子園出場を決める。
だが、県大会での不振から聖地ではレギュラーを外された。
「聞こえないけど出してあげようなんて特別扱いは一切なかった。憧れの甲子園なんで、当時は特別扱いしてほしかったですけどね(笑い)。今思えば、あそこで外されたからこそ強くなれたと思う」
聖地では代打で2打席に立ち適時打も放った。しかし、レギュラーを外れたことで
不完全燃焼の思いは消えなかった。高校卒業後、地元の先輩に誘われキックボクシングに出会う。
ベルト奪還、将来的なジム開設と夢は多い郷州
「仕事もあったので、しばらくは趣味程度だった」というが
当時同じジムだった城戸康裕選手が08年に「K―1MAX日本代表決定トーナメント」で優勝。
その姿を見て、くすぶっていた思いが再燃する。
本格的に練習に打ち込むと、11年にプロデビュー。デビュー戦から10戦を連勝で飾った。
「野球のときもそうでしたけど、初めから聞こえないので何が不利になるかはわからない。
ゴングもセコンドの声も、女性の黄色い声援も聞こえません(笑い)。
でも、ヤジも聞こえないし、逆に集中できることもある。
ハンディと捉えるかメリットと考えるかは自分次第なんです」
昨年はKrushスーパーフェザー級で初タイトルを獲得。
今年6月の防衛戦で判定の末に惜しくも敗れたが、ベルト奪還が今の目標だ。
将来的には自らジムを開き、耳の聞こえない人でもチャレンジできる場を作りたいと夢を語る。
「小さいころは耳が聞こえないことで、あきらめることも多かった。マックが好きだったのに
注文で持ち帰りやセットを聞かれてもわからない。それが嫌で自分から行動範囲を狭めていました。
でも、チャレンジしてみれば野球もキックボクシングもできるんです。
そう思ってくれる子供が一人でもいるなら、できるところまで頑張るしかない」
野球、そしてキックボクシングを通じて広がった可能性。
声援は聞こえずとも、そのファイトは多くのファンの心に響いている。
☆ごうしゅう・まさのぶ 1986年4月10日生まれ、神奈川県秦野市出身。
小学校3年のとき、渋沢スポーツ少年団で投手として野球を始める。
中学では秦野リトルシニアで外野手。
東海大甲府では3年夏に甲子園4強。
高校卒業後、一般企業で働くかたわらキックボクシングを始める。
2011年にアマチュア全日本トーナメント65キロ級で優勝し、同年プロデビュー。
12年、RIZEルーキーカップスーパーフェザー級で優勝。
16年からK―1に参戦、17年にKrushスーパーフェザー級で初タイトルを獲得。
プロ格闘家としての通算戦績は32戦24勝(7KO)8敗。
K―1ジム総本部所属。172センチ、60キロ。右投げ右打ち。
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