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2019年03月26日
聞こえない親をもつ聴者の子ども(コーダ CODA:Children of Deaf Adults)。彼らは幼い頃から手話に触れたり、通訳の役割を担ったりなど、聞こえる親の家庭とは少し違う環境で育ちます。成長するにつれ、「自分の親はみんなの親とは違うのではないか」と、コーダ特有の悩みをもつようになることもあります。彼らに寄り添うために何を理解する必要があるのか。ろう文化やコーダに詳しい成蹊大学文学部准教授の澁谷智子さんに、話をうかがいました。
「自分の親は違う」と気づく時期
多くのコーダは生まれたときから、手話、身振りや手振り、うなずきや指差しなどの、音声に頼らないコミュニケーション方法を自然に学びながら成長していきます。しかし、大きくなるにつれ、生まれたときには当たり前だった親とのコミュニケーションの取り方が、まわりの人たちにとっての「当たり前」とは違うのではないか、という疑問をもち始めることがあります。
ろう文化やコーダについて研究している成蹊大学准教授の澁谷智子さんは、コーダが「自分の親とまわりの親が少し違う」と意識し始める時期について次のように話します。
「私自身の感覚では、学校教育が始まってしばらくした頃ではないかと思います。幼稚園ぐらいまでは、子どもは親が手話を使っていても違和感なく『そんなものなのかな?』と思っていることが多いようですが、小学校に入った頃から、少しずつ“自我の意識”が出てきて、まわりと自分の親を比べ始めるようです」(澁谷さん)
成蹊大学准教授の澁谷智子さん
小学生の頃から始まる、「自分の親とまわりの人が違う」という“違和感”。さらに思春期に近づくにつれ、自分もまわりの子と少し違っているかもしれないという不安を抱くこともあります。
例えば、「相手の目をどれくらい見ていいのか」という問題に、多くのコーダは直面します。聞こえない親とのコミュニケーションは、どんなときにも目を見ながら行いますが、その習慣のままに話し相手と目を合わせていると、相手はじっと見られすぎているように感じてしまい、誤解につながることがあるようです。また、ろう者の間ではあいまいさを排した物言いが良いとされますが、そういうやり取りに慣れているコーダは、無意識のうちにストレートな言葉を発してしまい、人と摩擦を起こす場合もあります。
「思春期のコーダには、『“家での当たり前”が外では当たり前ではないんじゃないか』という不安が大きくあるように思います。ある程度の年齢になると、『私はこう育ったのだから仕方ない、それはそれでいい』と思えるようになるのですが、10代の頃は、“普通”であることに敏感な年齢でもあります。こうした不安は、友達にはわかってもらいにくいものですし、親にも言えることではありません。誰に相談していいかもわからず、コーダは人知れず悩むのです」(澁谷さん)
親にわかってもらえないと感じるとき
思春期の頃のコーダは親に対してイライラすることが多いと言われますが、それは単に反抗期だからというだけではないと、澁谷さんは指摘します。
「思春期のコーダの子たちの悩みの中には、『親が聞こえる人とは違う立ち振る舞いをすることが恥ずかしい』とか、『親と思うように話ができない』といったものがあります。聞こえる人のやり取りの仕方と、聞こえない人のやり取りの仕方に違うところがあり、さらに経てきた経験も違っているために、いわゆる“気持ちの襞(ひだ)”や“感情”を親にわかってもらえない、と感じてしまうのです。『親に言ってもどうせわからない』とコーダが思い込んでしまうと、それがコーダの気持ちの中で事実以上に膨らんでしまって、悩みを深めてしまうこともあります。こうしたコミュニケーションに関する悩みは、やはり、聞こえない親をもつ聞こえる子どもならではの悩みと言えます」(澁谷さん)
思春期のコーダが1人で悩まないようにするためには、コーダが「自分の家族だけじゃない」とわかるように、親が、小さい頃から年齢の近いコーダ同士の付き合いの場を作り、それを思春期まで維持してあげるのが大事だと澁谷さんは考えています。
コーダが手話を習得する難しさ
聞こえない親と普段から接しているコーダは、聞こえる人から見ると「手話」が使えると思われがちです。しかし、実際には手話が苦手というコーダも少なくありません。そのために、親と十分に深い話ができないと感じているコーダもいます。コーダが手話を身につけるかどうかは、親が手話にどれだけ価値を置いているかが、大きく関わってきます。
「手話が圧倒的な少数派言語である社会において、コーダが手話を“自然に”身につけるのは、かなり難しいところがあります。最近の、とくに都市部の若い親の中には、『子どもにきちんとした手話を伝えよう』という意識をもち、『普段の生活の中で言語として手話を子どもに見せられるのは自分だけ』という自覚をもって、子どもに手話で話しかける親もいますが、全体を見ればこういった意識がない人のほうが多いと思います」(澁谷さん)
コーダの日本語は、学校での教育や家族以外の人と接することでレベルがどんどん上がっていきます。それに対して、手話は、コーダが生活の中で接する機会が限られています。そのため、コーダが手話を身につける上では、親がどれだけ自覚的に手話で話しかけ、どれだけ手話表現を見せたかが重要になります。
「多様な手話にどれだけ触れる機会があるか、子どもが1日何時間ぐらい手話を見られるか、お母さんやお父さんが話してくれた手話がどういうものであるかによって、子どもが手話を身につけられるかどうかは変わってきます。その際、子どもが、手話は魅力的で、これを覚えるともっと楽しいことがあるという予感をもてることが、大切になってくると思います」(澁谷さん)
「共感」してもらうことの大切さ
これまで紹介した通り、コーダは、聞こえない親と聞こえる自分、そしてまわりの人との間で生じる摩擦に直面し、特有の悩みや戸惑いをもつことがあります。もちろん、コーダやろう者も多様で、中には、まったく違う経験や感じ方をしている人もいるかもしれません。しかし、コーダが大人になっていくときには、ストレスを感じやすい構造があるのも事実だと澁谷さんは指摘します。そのようなストレスの一部は、聞こえる人と聞こえない人とのやりとりのズレの構造を理解している大人と話せば、かなりの程度、軽減されるものだと言います。
「ろう者の世界についてよく知っている聴者や先輩コーダと話して共感してもらったり、親とは関係ない自分の人間関係のなかで出会ったろう者と話をしたりすることで、コーダは自分の体験してきたことの意味を掘り下げて考えられるようになります。より広い視野をもって、“親は変ではない、自分も変ではない”と安心することは、思春期のコーダにとって、とても大切です。大人になっていくコーダが経験するこの時期の葛藤をうまくやり過ごせるように、そうしたつながりができていけばと思います」(澁谷さん)
聞こえない親をもつコーダは、とくに思春期には、違いに敏感になりやすい状況にあります。それはストレスでもありますが、異なる価値観に気がつき、成長する契機にもなり得るかもしれません。一人ひとりの置かれた立場を理解して、コーダの気持に寄り添う人たちが、教育や福祉や医療の現場で増えていくことを期待したいと思います。
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