【負けるもんか】4カ国語を操る聴覚障害者、金修琳さん「世の中うまく行かないのが普通」

産経ニュース  2019.1.26


 株価情報を示すモニターに囲まれ、パソコンを高速で操作しながら

あちこちに電話する社員が忙しく働く世界有数の証券会社「ドイツ証券」(東京都千代田区)。

 企業コンプライアンスを守る担当として、社内の金融取引や情報漏洩(ろうえい)問題などを

厳しく審査する業務にあたるのが、韓国生まれで東京都文京区の

金修琳(キム・スーリン)さん(46)だ。


 韓国語、日本語、英語、スペイン語の計4カ国語を操るが、周囲の社員とは違い、

卓上の電話機が鳴ることはない。

「必要ないんです。だって私の耳は全く聞こえませんから」


 5歳くらいまでは聞こえていたはずの音が、完全に遮断されていると分かったのは

小学1年生のころだった。


 韓国にあった家の呼び鈴が鳴っても気づかず、成績も急激に落ちるといった

問題が続き医療機関を受診。

 「後天性難聴」と診断された。だが、辛い現実を突きつけられた娘に

寄り添う両親の姿はそこにはなかった。


  母との離婚後、父は4歳の自分を貧しい親類の家へ預け、再婚して家を出ていった。

親類宅では約9カ月間、畑のなすを盗んでは空腹を満たした。


 その後、母にいったん引き取られたが、6歳のときにはその母が突如、

ビジネスチャンスを求めて日本へ。

自身は祖母宅に流れ着いた。


「置いてきぼりにされることに慣れた」。

傷ついても気持ちを押し殺し、「まあ、いいか」と気持ちを切り替える術を

幼くして身につけたという。 


 何を言われているか理解できなくても話し続けた。

「おしゃべりが好きだった」から、相手の口の動きや表情から

状況を推察するなどして会話する方法を見いだした。


 12歳のとき、千葉県内でスナックを経営する母と暮らすため来日したが、

3週間で常連客の日本人家族へ預けられるという“裏切り”を再び母から受けた。 


 それでも日本語の習得を目指して猛勉強を続けたが、母に振り回され続ける生活は

精神をむしばんだ。

「この先も干渉され続けたら、壊れてしまう」。


 金さんは高校卒業後、逃れるように英国へ留学した。

出発の日は、母から解放される喜びで号泣した。 


 「初めて勉強することに手応えを感じた」という英国の語学学校では、

相手の化粧で手がべたべたになるほど教師の顔を触り、口の動きや

のどの振動を覚え、反復練習の末に英語をマスターした。


 その後も3年間にわたって30カ国を旅行し、スペイン留学も経験。

語学力を生かし、帰国後は米大手金融機関「ゴールドマン・サックス証券」

への就職を果たした。


 耳が聞こえずコミュニケーションがうまくいかなくても、

「ゆっくり話してください」と歩み寄り、会議の内容を

メモでもらうなど、周囲の理解や協力も得て問題を克服。

 外資系企業計4社を渡り歩き、キャリアを重ねてきた。 


 私生活では、インターネットで知り合った日本人男性(43)と結婚。

「かわいくてしようがない」という長女(10)にも恵まれた。


 仕事と子育てに励む中で、母への思いも変わった。

「彼女なりに苦労しながら、一生懸命に私を育てたんだと思う」。

少しずつ理解できるようになった。


  数々の困難を克服してきた金さん。

「世の中うまくいかないのが普通」とした上で、

「苦難の中であがきながらも常に新しい目標に挑戦し、小さな楽しみを見つけて

モチベーションを保ち、努力し続けることが大事だと思う」。


きれいな発音で、人生を切り開く“カギ”を教えてくれた。

(植木裕香子)


 キム・スーリン 

昭和47年4月9日生まれ、46歳。韓国・ソウル出身。聴覚障害を持ちながらも4カ国語をマスター。ゴールドマン・サックス証券、クレディ・スイス証券、バンクオブアメリカ・メリルリンチを経て現在、ドイツ証券勤務。著書に『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由』(ポプラ社)。




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