yomiDr. 2019年1月11日
耳が聞こえない障害を抱えながら大学に通い、昨年10月に交通事故死した
城西国際大環境社会学部(千葉県東金市)3年秋沢瞳さん(当時21歳)の生涯が、
出身地の神奈川県二宮町で、小中学校の道徳の教材に使われる。
亡くなる約1週間前、二宮町社会福祉大会の模擬店でボランティアをする瞳さん
(両親提供)
瞳さんは「古里の環境を守り、福祉を充実させる仕事をしたい」と夢を抱き、
留学も目指していた。
瞳さんは2歳で障害が判明。母洋子さん(51)の「普通の子と同じ体験を」との考えから、
音楽に合わせて体を動かす「リトミック」の教室に通ったり、
油絵、書道を学んだりしてきた。
ろう学校では「手に職を」と勧められたが、夢の実現のため、親元を離れて
大学に進学した。
両親に負担をかけまいと、週3日、東金市内のデイケア施設で洗濯や炊事の
アルバイトをこなす一方、大学や地域の手話サークルに参加。
農業を営む父広一さん(53)を手伝うため、条件付きの車の運転に
向けて自動車教習所に通った。
地元に戻れば、社会福祉協議会のイベントボランティアもした。
昨年9月18~22日、希望留学先のスウェーデンのストックホルム大を見学し、
帰国後に両親を説得、納得させた。
10月3日、ゼミの教授に留学を目指すと伝え、手帳に
「(先生が)応援してくれてうれしかった。英語力アップするようにがんばる」と書いた。
3日後の10月6日夕、東金市の県道で、瞳さんは横断歩道を自転車で渡る際、
信号無視の軽貨物車にはねられた。
一緒に信号待ちしていた人は車の気配で足を止めたが、
瞳さんはそのまま渡ってしまったという。
リトミック教室主宰者の一色由利子さんは、瞳さんが幼少の頃に
教室を離れた後も交流を続け、事故6日前、留学を
「応援してるよ」と伝えたばかりだった。
「町の子供たちに伝えたい」と二宮町教育長に相談し、両親の了解を得た。
町立山西小の松本雅志校長が中心になり、弱音を吐かず、愛されて
亡くなっていった瞳さんの人生を文章にした。
松本校長は今月15日、6年生の道徳で自ら教壇に立つ。
他の小中学校でも道徳や校長講話で取り上げ、新年度以降も続ける。
松本校長は「長く語り継ぎたい」と話し、洋子さんは
「瞳が子供たちの胸の中で生き続けてくれれば、せめてもの救いになる」
と話している。
輝いた21年 道徳授業に 聴覚に障害
昨年事故死 秋沢瞳さん 出身の二宮で
YOMIURI ONLINE 2019年01月16日
耳が聞こえない障害を抱えながら大学に通い、昨年10月に
交通事故で亡くなった城西国際大環境社会学部(千葉県東金市)
3年秋沢瞳さん(当時21歳)の生涯が15日、出身地の
二宮町立山西小学校の6年生の道徳の授業で取り上げられた。
道徳の授業で瞳さんの頑張りを伝える松本校長(15日、二宮町立山西小で)
ハンデにも弱音を吐かず、「古里の環境を守り、福祉を充実させる仕事をしたい」
と海外留学も志した瞳さん。
児童たちは「一生懸命の大きさが違う」などと深く感銘を受けていた。
授業では、松本雅志校長が「生き続けるともしび」と題した文章を読み聞かせ、
「瞳さんが頑張ってこられたのはどうして」
「瞳さんの人生をどう感じますか」と質問。
児童たちは「耳が聞こえなくても神様からもらった命だから」
「ハンデがあったからこそ乗り越えていこうと思ったのでは」
などと答えていた。
松本校長は「子供たちは一瞬一瞬を無駄にせず、夢や目標に向かってもらいたい」
と語り、母親の洋子さん(51)は
「瞳の短い21年間が少しでも子供たちの心に響いてくれれば、
親としてうれしく思います」
と話した。
秋沢瞳さん(両親提供)
勉強、手話サークル 充実の日々
瞳さんは勉強に留学準備、手話サークル活動と、充実した日々を送り、
多くの人に愛されていた。
城西国際大学によると、瞳さんが入学後、周りの学生たちが授業ノートの
筆記や課外活動のサポートを率先して行うなど、自分に出来ることを
考えて行動するようになり、手話の勉強を始めた学生もいたという。
卒論を指導していた瀧章次教授は
「瞳さんは周りの人を変えながら、社会も変えていく存在になるはずだった。
健聴者の中に飛び込んできて、猛スピードで走り去っていき、残念でならない」
と話した。
留学を夢見て昨夏に訪ねたスウェーデンのホストマザーからは事故後、
「素晴らしい娘さんを誇りに思ってください」とのメッセージが両親に届き、
手話サークルのメンバーからはこんな手紙が寄せられた。
「瞳ちゃんは積極的ですてきな人懐っこいお子さんでした。
国際手話も勉強していると聞いていました。
世界で活躍できる人材に育つと期待していました。
本当に残念で無念で仕方ありません」
(池尻敦)
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