難聴の弟と育った姉の 「手話ができる弁護士」をめざす道のり 弁護士の藤木和子さん

ツナグ・プラス  2019.01.08



今回は、弁護士の藤木和子さんへのインタビューです。

 藤木さんは、東京大学のロースクールを卒業後、4年間の弁護士活動を経て、

埼玉県所沢市の国立障害者リハビリテーションセンター学院手話通訳学科に入学し、

今年2018年に卒業。 現在は、弁護士に復帰して、筑波技術大学の聴覚障害学生に

手話で法律学の講義、旧優生保護法弁護団、「コミュニケーションバリアフリー社会」をめざす

「NPO法人インフォメーションギャップバスター」の理事、各地での講演・学習会、

ろう学校での講演などで全国を飛び回っています。 


 それと同時に、「聴覚障害のきょうだいをもつSODAソーダの会」の代表、

「Sibkotoシブコト障害者のきょうだいのためのサイト」の共同運営など、

幅広い活動をされています。 


 藤木さんは、いつも笑顔で様々なことに挑戦し続けているアグレッシブな女性という印象。

ただ、その笑顔の裏には、

「難聴の弟」の存在があり、「聴者の姉」である藤木さんの人生観に影響を与えてきました。 

そこで、「弟さんからどのような影響を受けたか?」、「手話ができる弁護士を目指した

きっかけは?」などの質問を中心にお聞きしました。 

 なお、このインタビューは、HAPUNEスタッフのくまちゃんが行いました。

どうもありがとうございました。


「SODA(ソーダ)」とは?

「SODA(ソーダ)」とは、「聴覚障害のきょうだいをもつ人」という意味です

(Sibling Of Deaf の略です)。

また、「Sibling(シブリング)」とは、英語で「きょうだい」という意味です。


「きょうだい」、「きょうだい児」とは?

「障害のある人の兄弟姉妹」のことを平仮名で「きょうだい」、「きょうだい児」といいます。

障害の種類・程度、手帳や診断の有無は問いません。


「SODA」「きょうだい」として考えてきた人生

弟とのけんかから見えた「障害」


 藤木さんは、弟さんとはよく一緒に遊び、取っ組み合いのけんかも。

この弟さんとのけんかが、「聴覚障害」について考えた最初のきっかけでした。

(当時のコミュニケーション方法は大きくゆっくりの口話と身振り。) 


 弟さんとけんかをすると、親御さんや周囲の大人からは、

「お姉ちゃん、きこえるあなたは弟を助けてあげなきゃいけないのだから我慢しなさい」

とよく言われました。 


 藤木さんとしては、「けんかにきこえる・きこえないは関係ないのに」と不満だったそうです。

 「きょうだいとして対等」でありたいのに、「きこえる・きこえない」で区別され、

けんかもしてはいけないとなると、「聴覚障害」という「障害」を必要以上に

大きい存在にしてしまっている気がした・・・。

 それが、藤木さんの思いの原点にあると話します。


そうだ、弁護士になろう

 小学校低学年の頃から、「私と弟はきょうだいとして対等」、

「きこえる・きこえないに関係あること、関係ないこと」を適切に(=合理的に)整理して考え、

「助けてあげる」ではなく「助け合っていきたい」という、今でいえば「共生」、

「合理的配慮」と同じような趣旨のことを言い続けていた藤木さん。


 しかし、なかなか理解してもらえず、親御さんや周囲の方に困った顔をさせてしまった

のが悲しかったそうです。

  それでも、自分の考えは決して間違っていないと信じ続け、子どもなりに思いついたのが、

「そうだ、弁護士になれば自分の思いや考えを認めてもらえるのではないか」

ということでした。

 弁護士になってから、藤木さんは、手話通訳が入ることで親子やきょうだいが

「はじめてのけんかや話し合い」ができた場面に、いくつも立ち合います。


 ぶつかり合うことも多いですが、話し合い後に「けんかすらできなかったことに気付いた」、

「遅すぎたけれど話せてよかった」とおっしゃる方もいるそうです。

  こういった瞬間、「弁護士になってよかった」と感じるとのこと。


 そして、このような現実を、子育て中の親御さんや学校の先生などに伝え、

次世代に同じ経験をさせてはいけないと改めて心に誓うそうです。


手話との出会い

高松手話通訳訴訟

 弁護士1年目の時に「高松手話通訳訴訟」という裁判が始まり、自分から

ろう者の弁護士に連絡を取って弁護団への参加を希望。

 29歳で弁護士になったばかりの藤木さんにとって、はじめての大きな裁判でした。 


 この裁判は、ろう者のお母さんが聴者の娘さんの志望校である専門学校の説明会への

手話通訳派遣(公費派遣)を高松市に依頼したところ、それを断られたという

きっかけで始まりました。


 裁判は2年半もかかりましたが、全国からの応援もあって、高松市の制度が改善され、

勝訴に近い和解を勝ち取ることができたのです。 

 その時に藤木さんは、ろう者、手話通訳者、聴覚障害関連団体の方々などに出会います。

手話の世界、ろうあ運動の世界との「はじめての出会い」でした。


「手話ができる弁護士」をめざした理由

 手話の世界には、社会を変えてきた尊敬できる人生の先輩、助け合い、学び合い、

高め合うことができる仲間がたくさんいました。


 子どもの頃から弟さんとのけんかを通して感じてきた自分の思いや考えを自然に話せ、

はじめて認めてもらえたことなど、手話の世界に自分の居場所を実感できたという藤木さん。


  高松手話通訳訴訟の他にも、アメリカ視察メンバーとして先輩らと1週間を共にしたり、

地域の方々と関わったりしていくうちに、

「手話ができる弁護士」をめざすようになりました。


詳しくは




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