毎日新聞 2018年12月16日
スマホとマイクを持って法廷へ
「久保弁護士、お願いします」。
11月上旬、ある民事裁判がさいたま地裁で開かれた。
書記官に促され、弁護士の久保陽奈(はるな)さん(39)は
傍聴席から法廷の柵の中に入った。
スマートフォンを机の上に置き、書記官を通じて裁判官の前にマイクを設置。
「原告が訴状を陳述しますね」。裁判官の発言から数秒――。
その間、久保さんは目を落としてスマホに流れる文字を確認し、「はい」と答えた。
同じようなスマホを通じたやり取りが続き、滞りなく閉廷した。
「当職は、両耳高度感音性難聴のため、聴覚障害を補う機器を
使用することを許可願います」。
裁判が開かれる数日前、久保さんは地裁に申請し、許可を受けた。
スマホで使っていたのは、音声認識アプリ「UDトーク」。
音を聞き取り、即座に字幕を作成できるこのアプリを活用することで、
仕事でも日常会話でも、スムーズなコミュニケーションを行うことができている。
法廷でも3年前からアプリを使っており、
「やり取りがすごく楽になりました」と語る。
「私は呼吸している」
聞こえづらい音があることに気付いたのは、高校1年生のころだった。
当時は会話に支障もなかったが、その後、症状が進行。
大学2年生の時、医師から「将来、まったく聞こえなくなるかもしれない」と告げられた。
「生の情報に接して、自ら伝える」という役割に憧れを抱き、マスコミ業界で
働くことを目指していた。
しかし聴力の低下に伴い、あきらめざるを得なかった。
そんな時、テレビで聴覚障害のある弁護士、田門浩さんのことを知った。
母親からの勧めもあり、「資格があった方がいいかな」と方針転換。
弁護士を目指すことを決めた。
司法試験の勉強中は、先の見えない不安に襲われた。
朝から晩まで繰り返し勉強する、息苦しい毎日。難聴であることも受け入れられず、
周囲に気軽には打ち明けられなかった。
試験は、3年連続で不合格に終わった。 「死にたい」。
そんな気持ちにさいなまれるようになった。
25歳の冬、午後9時半ごろ。予備校から自宅に帰るため、普段と同じように
東京メトロ半蔵門線渋谷駅のホームに立った。
「3回も落ちて、3年間同じ生活をしている。耳もどんどん悪くなる」。
どん底だ。思い詰めていた時――。
「私は呼吸している」 ふと、気付いた。
「死にたいと思い続けるかもしれないけど、私の体は呼吸して生きているんだ。
耳も聞こえなくなるけど、この先も呼吸していくんだ。あ、そうか。
自分はこの体で生きていくんだ」。
電車が来るまでのほんの一瞬の出来事だったが、この時以降、
死にたいという気持ちが湧き上がることはなくなった。
4度目の挑戦で、司法試験に合格した。
「暗黒時代」
東京都中央区にある「第一中央法律事務所」の会議室。
毎週木曜日に開くミーティングが始まる。久保さんはタブレットを机の前に広げ、
「UDトーク」の準備を進める。
久保さんは机にタブレットとスマホを置き、会話をする相手の前にはマイクを置く。マイクが拾った相手の声を認識し、スマホやタブレットに文字が表示されることで、久保さんは仕事や日常会話を支障なくこなすことができている
担当する事件について上司の近藤弁護士に説明する久保さん
司会を務める上司の近藤早利(さとし)弁護士の前に、集音マイクを置く。
会議が始まると、同僚弁護士はスマホを口元に当てて話す。
近藤弁護士や同僚の言葉がタブレットに次々と表示された。
会議の際は、同僚(右)がスマホに向かって話しかけると久保さん(左)のタブレットなどに発言が表示されるように設定。複数の人との会話もスムーズにできる
久保さんは現在、補聴器を外すとほとんど聞こえない状態で、補聴器をつけると
「言葉ははっきりしないが、何となくつかめる感じ」。
1対1の簡単な会話であれば、相手の口の動きを見て読み取ることもできなくはないが、
複雑な会話は難しい。
しかし「UDトーク」を使うことで、会議にも参加することができる。
今では問題なく弁護士業務をこなせているようにも映るが、順調だったわけではない。
司法修習を経て28歳で目標だった弁護士としての活動をスタートしてからの
数年間を「暗黒時代ですね、あのころは」と振り返る。
現在よりも聴力はあったが、今のようなアプリはなく、会話の内容を
つかみきれないことも多かった。
しかし「聞こえないから支えてほしい」と言う勇気もなかった。
仕事に慣れず、上司から叱責され続けた。
「自分に自信がなかったんですね」。苦笑いして、つぶやく。
「仕事でも何でも、うまくいかないことを聞こえないせいにしていた。
同僚と比較して自分のできない部分を気にしてばかりで、必要な配慮を
口に出さず、ウジウジしてばかりいたんです」
暗中模索だった久保さんを支えたのが、同僚でありチームの先輩でもある
西尾優子弁護士だった。性格も似ており、久保さんにとって、何でも話せる存在だった。
信頼する同僚であり先輩でもある西尾弁護士(左)と談笑する久保さん
西尾さんは、どのように久保さんに接したのか。
特に助かったのは、「たわいのない情報を届けてくれた」ことだ。
「ボスは何かの作業に集中しているみたいだから、今は話しかけない方がよさそうだよ」
「事務所の中でこんな話題で盛り上がっているよ」。
西尾さんは事務所内で起こっていることを細やかに雑談交じりで伝えた。
久保さんが情報を得ようとする時は、アプリを使ったり、マイクを向けたりして
意図的に収集する必要がある。
ただ、人が得ている情報は、聞こうとしている情報ばかりではない。
雑談や物音など、意識せずに聞こえてくる音から得る情報も多い。
何気ない事務所内の情報を得ることで、人間関係や事務所内の雰囲気も
理解することができた。
久保さん以外に難聴の友人と接したことがないという西尾さんだったが、
「状況に応じて必要な配慮をしてくれる」(久保さん)存在であり、
上司との関係に悩む久保さんの緩衝材になっていた。
「私を孤独から救ってくれた存在ですね」。久保さんは振り返る。
西尾さんの支えを受けながら経験を積むうち、久保さんはいつの間にか
「暗黒時代」を抜け出していた。
「何か特別なことがあったわけではないんです。目の前の仕事を着実にこなすことで、
自信がついたのかな」。
上司から「弁護士の中でもレベルの高いところにある書面を書くよね」
と評価されるようにもなった。できない自分を他の人と比較することは、なくなっていた。
難聴当事者として取り組んだ「全文通訳」の要請
「難聴者だから、障害者だからといって、常に障害者のために活動しなければならない、
というような期待はプレッシャーだった」。
そう話す久保さんが難聴当事者の立場を踏まえて、難聴者のための
権利擁護に取り組んだ実例がある。
2016年、ある地裁で裁判員候補者に選ばれた難聴の知人女性から相談を受けた。
「法廷で交わされる会話を要約ではなく全文で読みたいんです」。
久保さんもそれまでの裁判を通じ、「法廷でのやり取り、被告人や証人の話すことを
正確に把握するためには、話された言葉をそのまま文字に表す字幕が必要」と、
全文の文字通訳の必要性を感じていた。
地裁との幾度かのやり取りを経て、「全文の文字通訳を用意できるという
趣旨の回答が届いたんです」。
最終的に女性は裁判員に選任されなかったが、久保さんは「正しいことは伝わるんだ」
と実感した。「当事者であり、専門家でもある自分が言わないといけないことだと思った」。
当たり前のように全文の文字通訳が実現されるよう、取り組みを進めるつもりだ。
「難聴は、私と一緒にあるもの」
「難聴の弁護士」であることに、葛藤があった。
「足りていない、欠けている……。弁護士として『難聴』であることは、劣等感にしかならない」
と考えていた時期もあった。
周囲から「難聴の弁護士」として活躍を求められることも重荷だった。
「そこから自由になりたい」と願っていた。
今もこの気持ちが完全になくなっているわけではないが、以前とは少し変わってきた。
「劣っているわけでも、乗り越えるものでもないのかな。
難聴は、ただ私と一緒にあるもの、という感覚です」
取材を終えて
久保さんと初めて会ったのは10年前、弁護士として働き始めて
まだ数カ月のころだった。
聴覚障害のある弁護士は当時でも珍しく、記事にしようと考えて話を聞いた。
しかしなかなか書くことができなかった。
今回の取材で、出会ったころの話をすると、久保さんは
「あの時は、自分でもどうしたいのか分からなかったし、まだ、難聴のことを
受け入れてなかった。言葉が取り繕ってましたね」と振り返る。
当時は、久保さんにとって「暗黒時代」の最中だったころ。
私もどこかでそこに引っかかりを感じ、ためらったのだと思う。
今回、改めて取材に臨んだ際、久保さんの言葉にどこか、
吹っ切れたような印象を抱いた。
【東京社会部・蒔田備憲】
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