「ろう者」が直面してきた理不尽な人生

AERA dot.   2018.10.11


 中央省庁などで障がい者の雇用数が水増しされていた問題。チェック体制の甘さなど

様々な問題が指摘されているが、そもそも障がい者が社会に出て働くことに対する

理解は進んでいるのだろうか。


 『ろう者の祈り』の著者・中島隆さんが、あるろう者の男性から、

耳の聞こえないことによって直面する厳しい現実を聞いた。

手話で「I LOVE YOU」。世界中どこででも通じる唯一の手話単語だ (c)朝日新聞社


 彼は、やさしくて、笑顔がよくて、落ち着いた雰囲気の男だ。

聴者たちのなかの職場で、一生懸命に働いた。


 あるNPOに参加し、ろうの子どもたちに勉強を教えてもいた。それなのに……。

幼稚部だけろう学校。小学校からは、聞こえる人といっしょに学校に通った。

聞こえないなんて怪しい人間だ。そう思われて、仲間はずれにされたことがあった。

いじめられたこともあった。


 聴者である父親と母親は、彼に言った。  

「がまんしなさい」「負けずにがんばれ」

 

学校では、教師にイヤというほど言われた。  

「きみは聞こえないのだから、聞こえる人たちより

2倍がんばらなければならない。努力だ、もっと努力だ」  


 勉強をがんばった。でも、授業での会話がわからなかったのが、辛かった。

中学生になった。勉強が難しくなった。それなのに、

教師は黒板に向かってチョークで書きながら何か話している。


 <先生、あなたの口の形が見えないんだ。何をしゃべっているの?> 

 彼は、教科書を読み込んだ。けれど、あいまいにしか理解できない。

そうして、数学が苦手になっていった。理科も苦手になった。英語もダメになっていった。

けれど、両親は言った。 


 「勉強しなさい、努力しなさい」「がんばれ!」

 

彼は、両親に訴えた。 「先生の言っていることがわからないんだ」  けれど、

両親はこう言うだけだった。 「がまんしなさい。がんばりなさい」「負けたらだめだ」 


 いじめられた。そして、悪口を言われた。彼がいない場所でひそひそと陰口、ではない。

彼がいるところで言われた。聞こえないから大丈夫と、考えたのだろう。


 <たしかに、何を言っているかはわからない。

でも、ぼくの悪口を言っていることぐらい、わかる。

バカにするな!>  

聴者が通う高校を受験したが、失敗してしまった。なので、ろう学校の高等部に入った。  

幼稚部のときの同級生たちと9年ぶりに再会した。がまんの日々から解放された。

ほとんど手話を知らなかったので、懸命に覚えた。 


 ろう学校の3年間を満喫した。ろう者の世界は、居心地がよかった。

でも、時間は止まってくれない。イヤでも卒業を迎えることになる。

働かなくてはならない。


そして、彼は、聴者たちの世界に戻ることとなった。


 仕事は事務。コミュニケーションは筆談だが、文章を長々と書くわけにもいかない。

けれど、聴者たちは、彼にさまざまな配慮をしてくれた。  

<ぼくのことを理解してくれている。うれしい>  


彼は、自分たちろう者について、反省した。  

<自分たちも、権利ばかりを主張してしまっていたのかもしれない> 

<ろう者も、しっかりマナーを身につけなくてはだめなんだ> 


 ぼくは、この職場でがんばる。聴者のみなさんと、ともに歩いていくんだ。  

彼は前向きに仕事に取り組みはじめた。けれど、めでたし、めでたし、では終わらなかった。 

 

 4月に経営体制が変わり、職場にあらたな上司が来た。

その人は、聴覚障がい者に、まったく理解がなく、こう言い放った。

 「聞こえる人も聞こえない人も、関係ない。自分のことは自分でするように」  


職場から、いっさいの配慮がなくなった。そして、聞こえる後輩社員が、彼にこう言った。

 「ぼくの仕事が10なら、あなたは2だ。みんなの仕事が10なら、あなたは2だ」 

  

 心にグサッときた。でも、なんとか仕事をこなしてきた。けれど、

しばらくして、頭が熱くなるようになった。

仕事が手につかない。そんな様子を、まわりの聞こえる人たちは見ている。

でも、会話ができないので説明することは不可能だ。病院で医師に告げられた。


「適応障害ですね」  ストレスに適応できないため、心や体に

いろいろな症状が出て、日常生活をうまく送れなくなる病である。


 職場には言えない、言えない。彼はしばらく相談できずにいたが、

耐え切れず上司に告白した。すると、またたく間に話が広がった。 

 「あいつ、適応障害だってさ」  


 休職に追い込まれた。NPOでしていたろうの子どもたちを支援する活動も、

休ませてもらった。気分転換に、SNSに投稿したことがあった。職場の人が連絡をくれた。  

「あの人、休職中なのに遊んでいるらしい。そう言われていますよ」

 

<ぼくはどうしたらいいんですか?> 

 休職で心が回復したとする。そして、職場に戻ったとする。

でも、彼が仕事に打ち込めるはずがない。なぜなら、そこにいるのは、

彼を追い詰めた人たちばかりなのだから。  


 わたしたちは同情するだけでいいのだろうか。  

みなさんがろう者のことを理解し、変わらなければ、同じことを繰り返すだけだ。

いま、この瞬間も、ろう者が苦しんでいる。


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