AERA 2018.9.30
スタッフのマンツーマン指導でパソコンのスキルを磨く新島浩章さん(左)。
就職への熱意は高く、積極的に質問していた(撮影/編集部・大平誠)
聴覚障害(ろう難聴)者が職場で健聴者の理解を得るのは容易ではない。
障害者が困難を越えて働き続けられるよう支援する新たな取り組みを追った。
聞こえない、聞こえにくい。聴覚が不自由な「ろう難聴者」のそんな悩みは、
健聴者にとって理解しにくい。
たとえば声の大きさが同じでも、単語やフレーズによって聞き取りにくいこともある。
細かなコミュニケーションが求められることが多い仕事の現場では、ろう難聴者が
周囲と意思疎通を図れないことに神経をすり減らし、せっかく勤め始めても
離職してしまうケースが後を絶たないという。
きめ細かな就労支援でこのような現状を打破しようと、
「大阪ろう就労支援センター」(大阪市中央区)が設立されて半年が経った。
民間企業に雇用されている障害者は14年連続で過去最高を更新し、昨年6月時点で49万6千人。
障害者雇用促進法の改正で、今年4月からは企業に義務付けられている
雇用労働者に占める障害者の割合が2%から2.2%に引き上げられた。
障害者への就労支援はハローワークや地域障害者職業センター、
地域の障害者就業・生活支援センターなどが手がけている。
ただ、大阪ろう就労支援センターのように障害に応じた就労移行や
自立訓練に特化して支援する事業は全国的にも珍しい。
厚生労働省でも統計にまとめられるほどの調査はなく、
実態が把握できていないという。
同センターを記者が訪れたのは、体温を上回るような酷暑の日だった。
新島浩章さん(27)は、手話のできる学生スタッフの助けを借りながら、
表計算のドリルなどでパソコンのスキルアップに努めていた。
新島さんは高校でインテリアを学び、卒業後は印刷関係の会社に就職したが、1
年で退職した。印刷機械に入力する計算が苦手だったのと、同僚や先輩と十分に
コミュニケーションが取れず、人間関係をうまく構築できなかったのが原因だった。
その後は通所施設でパン作りなどをしながら自動車の運転免許を取得。
次に運送会社に就職して荷物の集荷作業に従事したが、重い荷物を扱う深夜労働がこたえて
腰を傷め、3年ほどで仕事を続けられなくなった。
手話通訳者の協力を得て、新島さんの話を聞いた。
「腰を壊して、障害者全般の就労支援施設に通ったり、その後は倉庫会社で仕事を
得たりしましたが、やはり足腰に負担が大きく続けるのが難しかった。ろう難聴専門の
就労支援センターは、母が見つけてきてくれて、2月に開所して私が第1号で入りました。
体に無理のない軽作業で長く働ける仕事を見つけたいので、
ワードとエクセルを一生懸命勉強しています」
同センター理事長の前田浩さん(65)は自らも聴覚障害者だ。長年教員として勤めた
大阪府立中央聴覚支援学校(旧大阪市立聾(ろう)学校)をこの春に退職し、
就労移行支援事業に絞ったセンターを立ち上げた。
教員時代も、「てにをは」を耳から自然に覚えられず、助詞の習得に苦労する
難聴者のために、イラストを多用した国語学習ドリル
『みるみる日本ご~みるくとくるみの大ぼうけん~』を出版。
さらに、全国約40人のろうの教諭に呼びかけ、自分たちの体験をもとに、
病院や買い物のやりとり、事故や災害時など、ろう者に身近な108項目の対処法を
考えながら探っていく『365日のワークシート』を出版するなど、
踏み込んだろう教育を展開してきた。
就労支援はそんな前田さんの新たな取り組みだ。 「毎年、聴覚支援学校からろう難聴の卒業生が
巣立ち、雇用率こそ障害種別の中では高いのですが、せっかく採用された企業での定着率が
良好とは言えない現状があります」
前田さんは、受け入れる職場とろう難聴者側の両方に原因があると考えている。
「先行研究のほとんどが、ろう者の離職率、転職率の高さを指摘し、原因として
職場におけるコミュニケーションの難しさを挙げている。受け入れ側の無理解という
職場環境に問題がある一方で、ろう難聴者側も自分が求める配慮をうまく説明できないために、
会社側の理解が得られにくい状況を作り出しているケースも多く見られます」
こうした背景もあり、新島さんのように就職しても離職、転職を繰り返す
ろう者は後を絶たない。個別に事情は異なるものの、企業側が求める能力や知識と、
ろう難聴者の現状理解と、個人の能力や知識とのギャップを埋めることが重要だ。
(編集部・大平誠)
※AERA 2018年10月1日号より抜粋
AERA 2018.9.30
実は敬語、あいさつも難しい?
ろう難聴者が抱える職場での課題
ろう教育の第一人者、前田浩さん(中央)が、自らの知識と経験を注ぎ込む
就労移行支援事業。調理実習などバラエティーに富んでいる(撮影/編集部・大平誠)
聴覚が不自由な「ろう難聴者」の就職を支援するため、半年前に
「大阪ろう就労支援センター」(大阪市中央区)が設立された。
実はろう者は離職率、転職率が高く、その背景には、受け入れる職場と
ろう難聴者側のコミュニケーションの問題があるという。
同センターでは、そうした問題にアプローチすべく、
新しい取り組みを行っている。
同センターが力を入れているのは、学校教育ではカバーしきれない領域だ。
具体的には
(1)スキルアップ(エクセルやワードなどパソコン技術を学び、資格も取得する)
(2)ソーシャルスキルトレーニング(手話と日本語を駆使し、自分のことを伝え、
相手の意図することをくみ取るコミュニケーション能力を向上させる)
(3)就活応援(ハローワークなど関係機関と連携)の三つが柱という。
そして就職後もジョブコーチと連携し、楽しく仕事ができる環境を
無理なく作り上げていくのが目標だ。
同センター理事長で、自らも聴覚障害者の前田浩さん(65)は言う。
「あいさつ一つとっても、ろうの社会では手を上げるだけでも失礼ではないけれど、
一般の会社で上司に手を上げて『オス』じゃまずいわけです(笑)」
敬語の使い分けも難しい。一人称だけでもたくさんあり、社内と社外で敬称の使い方が違うなど、
「ろうのコミュニケーションでは経験したことがないので覚えるのも大変なのです」(前田さん)
つまりろう難聴者は、日本語と手話という二つの言語と、それに付随する
二つの異なる文化の中で生きており、前田さんは「ろう難聴者には両方の世界が必要だ」という。
「職場にいる健聴者に対して歩み寄るために、自分は何ができて何ができないのかを理解し、
できないことを身につけるのが大事です。生活のリズムをきちんとつくる自立訓練も大切。
我々はそうした力をつける手助けをしていきます」
前田さんが職場の理解と働く側の意欲を近づけさせる必要性を痛感したのは、
大学生時代に経験した居酒屋でのアルバイトがきっかけだ。友人に誘われて一緒に働き始めたが、
注文を取り料理を運ぶ接客が中心で、1日目から客のオーダー内容がわからず立ち往生し、
見かねた友人に助けてもらった。
「店長が『バイト料は同じにするから、食器洗いに専念しては』と勧めてくれて助かりました。
そのうち、私が出すサインをみんなが覚えてくれて『急いで』とか
『レタスはがしといて』など簡単なやりとりができるようになり、
充実したバイトの日々を過ごせました」
前田さんはこのときのバイト代で、念願の原付きバイクを購入したという。
現在、同センターには男性3人、女性4人の計7人が通っている。
うち3人は大学生だ。
この日は前田さん自らスライドを使って、お金にまつわるやりとりを指導した。
預金と貯金の用語の違いを質問したり、エクセルでお小遣い帳を作ったり。
ろう者が苦労しがちな漢字対策も兼ねて、収入や支出、残高、銀行、給料などの用語を
書き取るドリルなども交えて進めていった。
夏休み期間中は大学生を対象に面接試験演習などのセミナーも行った。
センターでの支援は2年間が基本だが、スキルが身につき準備が整えば早めに社会に送り出し、
就職後もジョブコーチと連携して支援を継続する予定だ。
前田さんは言う。
「私は少年時代医師を志していましたが、聴覚障害は医師になれない欠格事由でした。
その欠格条項も今はありません。現実は厳しい、しかし、夢は持っていてほしい。
いろんな選択肢から、夢を見つけてつかみ取ってほしいと思います」
(編集部・大平誠)
※AERA 2018年10月1日号より抜粋
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