徳島新聞 9月12日
被災者元気づけたい
北海道地震県出身者が奮闘(2)
筆談ホステスの粟田さん(美馬出身) 札幌で炊き出し協力
札幌市の歓楽街ススキノで「筆談ホステス」として働く美馬市出身の聴覚障害者、
粟田千尋さん(29)=同市東区=は、北海道を襲った地震で避難生活を余儀なくされた。
地震を乗り越え、筆談で接客する粟田さん=札幌市のラウンジ
口頭での指示や説明が分からず不安が募る中、手話のできる人に助けられ、
古里からのメールに支えられた。
お返しにと現地での炊き出しを手伝った粟田さんは
「今、自分にできるのは元気な姿で仕事に取り組むこと」と前を向いている。
美馬市美馬町願勝寺生まれ。1歳半ごろに突発性難聴で両耳が聞こえなくなった。
徳島市の県立聾学校(現・徳島聴覚支援学校)を卒業し、県内の理容店勤務などを経て、
今年4月から知人の紹介でススキノのラウンジに勤務している。
6日未明、自宅で激しい揺れに見舞われた。電気が消えて真っ暗になり、棚やテレビが倒れた。
パニックに陥ったが、すぐ地震だと理解し、水などの持ち出し品を用意した。
ラウンジのスタッフで手話通訳のできる那珂慎二さん(33)=札幌市=
が駆け付けてくれ、近くの中学校の避難所に向かった。
初めての避難生活。市職員らしき人が出す口頭での指示や説明が分からず、不安が募った。
支えになったのは那珂さん。粟田さんのために手話通訳をしてくれた。
「助かった。那珂さんがいなかったらどうなっていたことか」。
9日朝までの避難生活を乗り切った。
「大丈夫? けがはない?」。徳島から届く家族や知人のメールにも勇気づけられた。
「自分も何か人の力になれないか」。
そんなとき、ラウンジの系列店が被災者に炊き出しをすることになり、手伝いを買って出た。
8日夕、店内で食事が振る舞われた。インターネット上の書き込みや
店頭の看板を見た人が次々に訪れる。
粟田さんはおにぎりを握り、唐揚げとみそ汁を手渡した。
約1時間半で用意した50食分がなくなった。
受け取った人の口の動きで「ありがとう」と言っているのが分かった。
10日の営業再開から店に出ている。いつも通り、ペンを片手に筆談で接客する粟田さんは
「精いっぱい働く自分の姿を見せて、お客さんを元気にしたい」
と笑みを浮かべた。
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