感音性難聴の聴こえを比較してみた

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2018年1月20日


感音性難聴の今の私の聴こえと

健聴だった頃の聴こえを比較してみた


 難聴は「目に映らない障害」と言われており、接しても

気づかないことも少なくありません。


 そのことから誤解を受けたり、支障があったりと、生活上の

不便さを訴える声も聞こえます。 


 そんな難聴者の現実を説明した投稿をTwitterで見つけました。 

健聴だったころと感音性難聴の今の聴こえを比較した

きょんちゃん(@wzEM5tDHXTCdAjp)の投稿を掲載します。


健聴→小さい音も聴こえ、小さい音でも、音の質を聞き分けることができた。 
難聴→小さい音は聴こえず、聴こえても何の音か判別不能。

(危険な音であっても察知できないため、生活していて恐いと感じる時がある。) 


健聴→音の発信元を探すことができた。 
難聴→音が鳴っていることが分かっても、どこから聴こえてくるのか分からない。

(携帯を無くしても音で探すことはできない。何かが異常な音を発していても

 発信元が分からないため問い合わすことすらできない。)  


健聴→言葉がクリアに、はっきり聞こえていた。 
難聴→音が不鮮明。聞こえてくるのは、50音の中に存在しない音のため、何と言っているのかさっぱり分からない。 


健聴→よそ見していても、テレビを観ながらでも、人の話を聞くことができた。 
難聴→話す人の顔をしっかり見て、集中して、勘を働かさないと聞くことが出来ない。 


健聴→病院や銀行などで順番を待つ時、雑誌を読みながら待つことができた。 
難聴→番号の表示板を常に凝視。そういう物さえない所では、自分より先にいる人の顔を覚え、且つ、呼び出しする人の動きと口元を凝視し続け、呼ばれたかもしれないと思うたびに聞きにいかねばならない。

(特に数時間待ちの大病院には、マスクや放送呼び出しが多いため精神的疲労は半端ない) 


健聴→音楽は大好きでよく聴いた。音楽の臨場感に酔い、音楽に感動したり、リラックスしたり音楽を楽しんでいた。 
難聴→聞こえる音が狂っているので、どんな素晴らしい音楽も音が外れて聴こえるため、聴くのが苦痛になった。

(ドレミファソラシドがドレミファソラシドに聴こえない)今は音楽は雑音に近いので、音楽は不快。 


健聴→後ろから車が来たことをエンジン音で察知できた。 
難聴→後ろから車が来ても分からない。小さなクラクションも聴こえないので、ヒヤッとしたことが何度もある。  


健聴→朝の通勤時、踏切の音が離れていても聴こえていたので、聴こえてすぐに走ったら電車に間に合った。 
難聴→踏切の真下に行かないと音が聴こえないので、踏切が見えない限り、鳴っていることに気付くことはできない。 


健聴→日常生活レベルの大きな音は平気。それを超えれば煩いが、煩いだけの苦痛だった。 
難聴→健聴な耳なら全然平気だった大きめの音が、耳を塞ぎたくなるような大きな音で頭に響く。音によっては、かなり耐え難く感じ、これは拷問に近い。  


健聴→人が大勢集まったザワザワ煩い環境でも人と会話ができた。

(たくさんの音の中から自分が聞きたい人の声を拾い出せた) 

難聴→煩い所で、聞きたい人の声だけを拾い出すことなど到底不可能。

(宴会等で交わされる会話はどれもこれも意味不明)

 


健聴者の誤解→補聴器を付けたら普通に聴こえると思っている人が多い。 


難聴者の実際→補聴器を付けても、元の聴こえを取り戻すことはできません。神経がダメになった音は補聴器を付けても全く聴こえません。聴こえる音は全てひずんでいるので、健聴者が聞いているようなクリアな言葉には絶対になりません。補聴器を付けても問題だらけなのが聴覚障害なのです。


 引用:きょんちゃん(@wzEM5tDHXTCdAjp)



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