YOMIURI ONLINE 2018年07月01日
大阪北部地震が起きてから2週間です。あの日は大阪・ミナミで取材を始め
ホテルや路上で大勢の外国人観光客が途方に暮れて座り込んでいた光景が印象に残っています。
言葉の通じない外国人には相当の心労があったようですが、障害のある方も大変でした。
「地震が起きた時は出勤途中で、電車が突然止まり、びっくりしました。
車内放送はあったようですが、私には分かりませんでした」
生まれつき耳が不自由な大阪府豊中市の会社員石原敬子さん(48)の体験談です。
石原さんと会った場所は、大阪市北区のカフェ「朱夏しゅか」。
店では毎週水曜、聴覚障害の方らが集う「手話カフェ」が開かれ
6月27日の回に参加した石原さんに手話通訳の方を交え、話を伺いました。
「電車が突然停車したのは、駅のホームに進入した頃です。
私は揺れに気づかず、何が起きたのか、わかりません。
周りの人が一斉にスマホを見始めて、何か変だと思い
自分のスマホで地震と知りました。車内に閉じ込められ
不安でしたが、筆談のお願いも、周囲は混乱していて難しかった。
私たちは車いすに乗ったり、白杖はくじょうを持ったりしていないので
支援が必要なことに気付いてもらいにくいのです」
全日本ろうあ連盟によると、東日本大震災で聴覚障害のある人の亡くなった割合は
住民全体の死亡率の2倍に達したという統計があるそうです。
防災無線が聞こえず、避難が遅れたことなどが要因とみられるとのこと。
考え込んでしまいます。
石原さんは閉じ込めから15分後に、駅員の誘導でホームに出ました。
その後のエピソードには、災害時に取り残されがちな人を
支援するヒントがあるように思いました。
「LINEラインのやり取りで、駅近くの同僚が心配して駆けつけ
会社への連絡役を引き受けてくれました。出社の必要がなくなり
自宅マンションに戻ると、今度は同じ階のおばあさんが『大丈夫だった?』
と駆け寄ってきてくれました。
おばあさんは、手話はできませんが、廊下で会うと
身ぶり手ぶりで話しかけてくれ、私も口の動きを読み取って話します。
気にかけてくれる存在は本当に心強い。
『遠い親戚より近くの友人』です」
「朱夏」の店長、西尾純さん(52)によると、「手話カフェ」は約6年前
聴覚障害の方が働きたいと来店し、スタッフ全員で手話を勉強したのがきっかけです。
現在も2人の聴覚障害の方が働き、店ではバディー(相棒)制を採用しています。
「障害のある人や新人を一人にせず、家の近い店員と組ませ
普段から気にかけ合い、災害時には安否確認もします」と西尾さん。
石原さんの話にも通じる取り組みに思え、最後に書き留めました。
(上地洋実)
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