警報が届かない 聴覚障害者の大震災体験を映画に
「きこえなかった3・11」 今村監督「情報格差をなくすために」
音もなく足元の大地が揺れる。津波を知らせるサイレンも届かない。
東日本大震災で被災した耳の不自由な人たちの「現実」を追ったドキュメンタリー映画
「架け橋 きこえなかった3・11」(2013年、74分)の上映会が
震災から丸7年となる11日、福岡県久留米市であった。
撮影・監督を務めた映像作家の今村彩子さん(38)=名古屋市在住=は
自身も生まれつき両耳が聞こえない。
聴覚障害者らが、被災した当事者支援に奔走する姿などを2年4カ月、カメラに収めた。
「目で見える情報がすべて。命に関わるとき、そんな格差があってはならない」
強い思いを込めた。
今村さんは20歳から映画監督として活動を始め
耳の不自由な人をテーマにドキュメンタリーを撮り続けている。
11年3月11日の震災発生時、愛知県内でも仕事中に震度3の揺れを感じた。
テレビの字幕のないニュースでは最初、津波と分からず「なぜ海の映像が」と混乱した。
映画「架け橋 きこえなかった3・11」より。耳が聞こえず、仮設住宅で1人暮らしの男性(右)に扇風機を届け、使い方を説明する小泉さん(左)
ほどなく、手話と字幕で情報を伝えるCS放送から現地取材の打診を受けた。
一見して聴覚障害があると分からない人たちは、警報や避難放送などの情報を得にくく
災害時は特に弱い立場に立たされる。
「現状をしっかり取材し、伝えなくては」気が引き締まる思いがした。
番組のディレクターとして、2人のスタッフとともに現地入りすることを決めた。
11日後の22日、名古屋から飛行機で新潟へ飛び、レンタカーで仙台に向かった。
海に近づくにつれ、目を疑った。
抜けるような青空に不釣り合いながれきの山、崩壊した家屋、田んぼに突っ込んだ車…。
「まるで映画の中に入り込んだような感じ」だった。
取材のつてはほとんどなく、宮城県ろうあ協会(現同県聴覚障害者協会)会長の
小泉正壽(しょうじゅ)さんを頼った。小泉さんも耳が聞こえない。
携帯メールが通じない中、同協会では県内の会員(当時363人)の
安否確認をして助けになろうと各地を駆け回っていた。
彼らの支援活動を手がかりに、今村さんはカメラを回した。
車内で寝泊まりするつもりが、いつも笑顔を絶やさない小泉さんは
「寒いだろう」と自宅に泊めてくれた。
「全部だめになった。家も服も」「放送が分からず、小学校に避難すると知らなかった」
実際に被災者の元に足を運ぶと、手話で懸命に「その時」を語ってくれた。
近所の人に津波警報を知らされて何とか助かった人。
避難所で話や放送が聞こえないため、周りの様子で判断しようと常に気を張り詰めていた人。
聞こえないだけでなく、文字の読み書きが厳しいお年寄りとも知り合った。
逆に突然のカメラに、取材を断られたこともある。
福島県いわき市でカメラを回していた4月11日。震度6の余震に遭遇した。
経験したことのない大きな揺れ。津波のサイレンが鳴ったのは、スタッフが教えてくれた。
「本当に津波が来たら死んでいたかも…」。
東日本大震災で、障害のある人の死亡率は、住民平均の2倍以上とされる。
取材した被災地は3県11市町。映画の出演者とは定期的に連絡を取っており
今もみな元気だという。ただ仮設住宅から公営住宅に引っ越した後の
「孤独感」に苦しむ人もいて、今村さんは「震災はまだ終わっていない」と感じる。
情報格差をなくし、聞こえる人、聞こえない人双方が歩み寄り
共に生きる社会をつくるには
「日頃から互いにできる、できないことを具体的に伝え合うことが大切。
それが非常時の支援にもつながる」と考えている。
久留米市の上映会(市ボランティア連絡協議会主催)には約100人が参加。
進行を務めた「久留米手話の会」の切通義和さん(45)は
「熊本地震や九州豪雨でも聴覚障害者の被災者がいて、サポートが十分ではなかった。
避難場所の確認など地域での事前の備えが欠かせない」と指摘した。
映画は全国で自主上映されているほか、DVD(3240円)も販売中。
自主上映などの問い合わせは「Studio AYA」=052(621)9670
studio_aya_office@yahoo.co.jp
=2018/03/22付 西日本新聞朝刊=
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